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教員の目標管理がうまくいかない理由を考える。

目標を設定するには、何らかの成果をイメージして、いつまでにどのような状態を実現するか明確にすることが必要になる。では、教員における求めるべき成果とは何か。この問いに答えられないと目標管理は成り立たない。

教員に求める成果を考えるには、教員の役割として何が求められているか整理することが必要だ。 まず、私のような専門外の人間が思い浮かべることは、一人ひとりの児童生徒の個性を見て、その児童生徒に合った指導をして興味や関心、意欲、能力などの個性を伸ばすことだろう。しかしそれ以外にも、学級経営に関する役割、学習環境づくりにかかわる役割、学習指導に関する役割などがあり、それぞれ成果が求められているのではなかろうか。

そう考えると、学業成績を高めることは「学習指導に関する役割」の一部であって、それだけが教員の役割ではない。また、スポーツで全国制覇することや学校の知名度を上げることにやっきとなっている先生もいるようだが、本来の役割とは異なるのではなかろうか。

実は、個人目標を設定させるには、このような役割認識の共有化が前提となる。しばしば校長先生の指導に従わない教員がいたりするが、この役割認識のズレを正しておかないと、目標管理制度は有効に機能しない。

もっと言ってしまうと、この役割認識のズレは、学校運営のあり方とも関連しているように思う。学校では教員一人ひとりの考え方が尊重されているように見える。ただ尊重されるのは良いが、校長の方針が徹底されなかったり、校長でありながら教員が賛同しないと意思決定ができない、という状況であれば、個々の教員が設定した目標を修正させることもままならないだろう。

また、教員の場合、その仕事の特性から目標を表現しにくい現実がある。 本来、目標とは、その人の役割責任を遂行するあらゆる行動が、ひとつの成果として集約され、その成果がその人の仕事ぶりを測る指標として納得性のあるものとなっていることが理想である。しかし教員の仕事は多様であり、ひとつの代表性のある目標を設定しにくために、個別具体的な業務目標を設定するかたちになりやすい。そのため、3つ~4つの目標だけでは、その教員の全体の成果(業績)を評価することにはならない。

さらに、教員の個人目標は、その達成度を判定するための客観性を確保しにくいことが多い。 「生徒にチームを組ませて○○を実行させ主体性を引き出す。」とか、「自然教材を活用して子どもたちに自然環境の大切さを理解させる。」などは、たいへん望ましいことだが、これが実際に十分できたか判定するには主観的な評価にならざるを得ない。そのため、達成できたか明確に判定できるように、到達点を具体的に定義した表現に変更する必要がある。例えば、「自然の大切さを理解した子どもたちの割合を95%以上にする。」のように。

しかし、このように変更すれば目標自体は曖昧性がなくなるが、今度はこの達成の実証方法を検討しておかなければならない。

地方公務員の業績評価の方式として目標管理制度に取り組むことは望ましいことである。しかし、現実には組織目標は設定できても、個人目標が設定しにくい職種が多数存在する。 学校教員のほかには、保育士、教諭(幼稚園)、福祉関連の各種指導員、警察職員、消防職員、技能職員(運転手、調理員、作業員、ヘルパー等)などである。

目標管理を、教員の職務への取り組み意欲や自己啓発意欲を喚起する制度として機能させるならば、個人目標を設定させることに異議はないが、業績評価の仕組みとして機能させる場合には、評価の公平性や客観性、納得性が求められる。教員の職務特性その他から考えると、目標管理手法のみを使ってこれらの条件を満たすことは容易ではない。

別のコラムでも書いたが、業績評価は目標管理方式以外の方法でも可能である。目標管理にこだわることなくもっと柔軟に考えてみてはどうだろうか。